2023年11月30日木曜日

初めてのインド♬

 思いもしなかったインドへの旅

恩人との出会い

生きていると、誰しもがときおり大変な時期に出会う。

2003年は私にとってまさに試練というべき年だった。

家を失い、仕事を失い、父親を失った。


あまりのことに生きる気力を失い、ベットから立ち上がることができずに

廃人への道を突き進んでいた。そんなときに携帯のベルが鳴った。友人という

わけではない、まだ知り合って間もない私より若い男性からの便りだった。


それから彼は、毎日のように私を誘い出してくれた。私といえば、気力を失い、

ただ黙りこくって落ち込んでいるばかりだったが、彼はそれを見抜いたように

いろいろな場所に連れて行ってくれて、さまざまな話を聞かせてくれた。


そんな日々が続くある日、彼の知り合いのなかにインドへ行って治らないと

いわれた癌が完治した、という何処かで聞いたことのある話をする女性に出会った。

彼女は、私にインドへの旅を強く薦めてくれて、わたしも私で死に物狂いだったので

はんば無条件でインドへ行くことを決意した。


まったくインドになど興味はなかった。

行きたい国といえばアメリカやヨーロッパだったし、オーストラリアやニュージーランドという具合だった。

それがどう間違ってインドなどという、よく訳のわからない国に行かなければならないのかと、心のどこかで抗議している自分がいた。

旅は45日間と固定された。帰りの日が決められる代わりに、航空券が安くなった。

その代わりに、新しいチケットを買う金など持っていなかった。持ち物は最低限に必要なものと15万円ほどの現金のみ。まさに生きて帰れるかどうかギリギリのラインだった。初めての海外旅行でもあったし、怖いはずだが、怖いというより、どうしてもやらなければならないという思いに駆られていた。

2023年11月20日月曜日

どうしてスポットライト?

 スポットライトってなによ


ウクレレと歌

 秋も深まり、寒くなったり、過ごしやすかったりという日が目まぐるしく変わっている今日この頃。

クリシュナ

 3年前のちょうど今頃、ウクレレを始めることになった。コロナ下で大切な人を失ったかたも多いとおもいます。私も同居の家族を2人失いました。愛犬まで去っていきました💦コロナで失ったわけではないですけど、大変な人も多かったように思います。

 ウクレレを始めたのは楽しいことに取り組みたかったからですね。一般的に音楽は楽しいですよね。そう、音楽はわずかの時間でも失望や孤独感を癒すことができる。そう感じます。

思い返せば...

 スワミ・サラ―ダーナンダ(ラーマクリシュナの弟子)が100年以上もまえに本のなかで日本のことを書いていたことが浮かんでしまう。西洋諸国の文化をコピーした東洋の国々は、西洋諸国と同じ苦しみから逃れられないだろう。とりわけ、どこよりも早く西洋を真似た日本は逃れられないだろうといったような内容でした。

 アメリカやヨーロッパにおもむいたサラ―ダーナンダは西洋の冷酷な文化を見抜いており、この物質的な文化を真似ることによって物質的な豊かさの代わりに精神的な荒廃・孤独・精神異常・自殺・心の衰退などなどが増えることを見抜いていた。

 なぜ西洋文明は残酷なのか?当然じゃないかと…。物におぼれる人は心を粗末にしますね。物が大切で心は二の次。そういった考え方が集まっている文明。この社会で道に迷って困っている人々のために何ができるだろうか?弱いものを押し除けてでも自分の欲望を奪い取るのが人である。これは格言だとおもう。時間に追われている人々が、相手にしても自分の得にならない人のためになにができるだろう?


音楽とマントラ

 お金や物のために心を売ったのが東洋諸国ということになる。いや、物質文明に支配された世界中ということになる。私もサラ―ダーナンダの言葉のように精神的苦悩をこの身で味わった人々のなかの1人だ。それでウクレレを始めようと決意したのですね。

 音楽は素晴らしいとおもう。とりわけ、マントラの素晴らしさは言葉では表しきれない。マントラひとつで、人は真の幸福を得ることができる。

 人が幸福を得られないのは共通している。そうした定めもまた運命共同体であるとおもう。大気汚染のひどい場所に住んでいる人々は、その被害から逃れられるだろうか?

 私たちは地球という同じ場所に住んでいて、わずかな違いがあったとしても、その性質に大きな違いはないだろう。私は世界中のいろんな人々と会ってそう確信するようになった。いや、人や生命が集まって環境が形成されているといったほうがよい。人は環境を構成する要素の一滴である。俗に、人は大海の一滴といわれる。私たち、ひとり一人が環境をつくっている。

 ところで、マントラの何たるかを知っているだろうか?マントラは、タントラのなかの手段だと考えられていますね。マントラとかタントラとか、なんだか似たような言葉で分りにくいですね(-_-;)マントラをまんまに表現すれば、「音」ですね。耳は感覚機能の重要なひとつですけど、その聴覚の恩恵を最大限に引き出そうとするのがマントラですね。

 そもそもタントラは密教とも呼ばれます。要するに王道の修業ができないヨーガ行者がいるとしますね。だいたいの人は、過酷な修行や性欲・物欲を抑制することは簡単ではないとおもいます。なので、それができない人のためにタントラという、成長のスピードは遅いが、ヨーガの道にいくことができる。要するに妥協というわけですね。

 このタントラの道のひとつに、マントラがあるわけですね。マントラヨーガと呼ばれますね。マントラは真言とも呼ばれ、その言葉を繰り返すだけで、真の幸福を得ることができるといわれますね。

 タントラといえば空海が思い返されるし、またマントラといえば親鸞の「南無阿弥陀仏(なむあびだぶつ)」などが典型的な例ですね。親鸞は厳しい修業ができないすべての人々のために、マントラを広めたのだとおもう。そこには慈悲しかない。本当にすばらしいのは、マントラは病床にある人から心の弱き者も実践できる。その気があれば誰にでも実践できる教えなのだから。なんという偉大なものが編み出されたのだろうかと、ほとほとひれ伏してしまう。

 冒頭の写真でクリシュナの写真を載せているが、そもそもクリシュナがすべての人に道を開くことを宣言したのだ。クリシュナのことはのちに述べるとして、インドでもっとも人気のある神様であるとだけ言っておきたい。

 タントラとは、誰にでも道が開かれた、慈悲によって生まれた技法。王道のヨーガの道は剃刀の上を歩くように厳しいといわれるが、タントラの道はそうでもない。ウクレレを弾きながら、マントラを歌っていればなんとかなりそうな気にもなってくる。


スポットライト


 日の当たらない人々に、音楽をとおしてこのマントラをまき散らしてやろう!とウクレレをはじめたのが3年前。マントラは、聖なる音なのだから、それを聞いたり歌うだけでなんとかなる!しっかりと、楽しんでやればいい。なんて素晴らしいものが編み出されたのだろうかと、つくづく思う。やっぱり慈悲のちからだなと。

 物質文明だろうが、時間に追われていようが、その気さえあればマントラの道には進むことができる。マントラの道は時間はかかるかもしれないが、それを歌いつづけるものを確実に変えていく。真剣で忍耐強くありさえすれば、マントラひとつで大海を渡りきることができる。私はまちがいなくそう確信している。